レ・ヴァン・フランセとルイ・サダ

今夜のNHK教育テレビ
レ・ヴァン・フランセとルイ・サダ登場。
フランスの木管のおにいさんたち、うまいしかっこいい。
ピアニストさんも、パリパリっとした(え?シャレ?)演奏で
お気に入り。
クラリネットのポール・メイエ、フルートのエマニュエル・パユ……す・て・き
と、眺めてたら
浪人生の娘にアレコレはなしかけられる、というか
なにやらぐるぐるおもいつくまま話している。
わかったようなコメントをいうと反発くらうので
ふんふんとききつつ
そのままルイ・サダおじさまのショパンに突入。
情感豊かな演奏。
音楽を愛してるんだね。
しっかりと音楽をつかんで歌う。
ちゃんと歌っている。
聴き入りたかったのだけど
もえの言葉も混ざってくる。
眉をしかめて聴いてたら
「その顔は、ピアノを聴いてるから? それともわたしの話を聞いてるから? 」
と質問される。
「そりゃあ、両方だよ。ショパン聴きつつ感動しつつ、もえの話もきいて理解しようと……」
なかなか高度なワザを脳はやろうとしてるのだが、
たいていはどっちつかずになってしまうのだった。
「え? 何いってんの? あ、この曲いいよね……ショパン…ああこのひと、ちゃんと低音のメロディがキレイに歌ってるね、で、あんた、何が言いたいの? 」


ひとしきりしゃべって、しゃべることである程度すっきりする。


他人の気持ちや行動を、自分の都合のいいようにかえようったって、難しい。
それよりは、気にしないか、自分のほうのとらえかたを変えるほうがうまくいく。
自分のほうを変えてみたら、その「ままならぬ他人」との関係も変わっていったりする。


アイシテルだの恋してるだのってのも
自分のなかに相手の幻想を育ててつくってる。
そのこと自体は、素敵なコトだなあとおもう。
幻想があまりに実像とかけはなれてしまうとやがてくるのが幻滅。


幻滅しても、スキでいられるのが、愛なんだろうかな。


もう、あの
ポゴレリチがどんな演奏しようがしまいが
一生きっと……