葬送
4日に通夜、5日に葬送。
貝原さんをたくさんのひとたちが送りにきた。
きのうはゆうなともえといっしょにいった。
焼香のあと、東中野ポレポレ座の1階に
親しいヒトビトがあつまった。
ひさしぶりの友だちたちのカオも。
貝原氏が布に絵を描く姿を写したビデオをみんなでみたり、
わらったりないたりかたたたきあったりあくしゅしたり。
きょうは葬送。
午前11時にまたたくさん集まる人々。
さいごのおわかれ。
白い菊のお花を手にひとりひとりおわかれ。
ちょっと額と髪にふれることができた。
さよなら。
なんだかまだしんじられないよ。
わたしがくるしいときかなしいとき
そばにいてくれてうけとめてくれたっけ。
ぎゅっ、って手を握ってくれたっけ。
梅雨の晴れ間。
木の梢がさわさわゆれてる。
暑いくらい。
午後、集まった人たちと
「またね」と手を振ってわかれる。
夜、エレーヌ・グリモーさん*1のコンサートに行った。
プログラムのテーマは、「生」と「死」
イノチの歌、叫び、愛、絶対的な「死」、そして「再生」。
ショパンの「舟歌」
ショパン「子守歌」
ショパンピアノソナタ第2番「葬送」
ラフマニノフ ピアノソナタ第2番
ラフマニノフ 音の絵から 33-2 33-1 33-8
ラフマニノフ プレリュード32-1
ショパン 「雨だれ」
プログラムにグリモーさんの言葉。
「死はーー間違いなくーー生のさなかにあります。
その事実を捉えた私たちの意識を、葛藤のすえにそこから解放させてくれるのは
「愛」だけです……」(抜粋)
ショパンのピアノソナタの
第一声の音をきいたとたん、涙があふれた。
生きてる、いま、ここにいて
生きてる、それが、すべて。
それが、愛。
いのちの「愛」がいっぱいあふれていて
まわりにひとたちがあつまってくるヒト。
コンサートの帰り、地下鉄四谷駅に
七夕の竹笹が飾られていた。
たくさんのヒトが短冊に願い事をかいてつるしてた。
仕事帰りのヒトが何人も足をとめてかいてる。
わたしも、いちまい願い事をつるしてきた。
ちょっとこそばゆいような、うれしいような。
「たましいがやすらかに かがやきますように」