臆病は不治の病


臆病な自分。目の前の溝を跳び越えて向こう側に駆けて行けんかった少女。
あの頃からちっとも変わらん。


ちょっと助走すれば、誰でも越えられる溝。そこで立ち止まる。
あちらがわへつぎつぎ跳び越えてく子どもたち。楽しそう。
何があるんだろう? 広場?
お祭り? 公園? 鬼ごっこやかくれんぼ?


でも、どうしても越えられない。


わたしだけは、きっと、落ちる。
溝に落ちてしまう。
そんなイメージが頭から離れなくて、足がすくむ。


体育の授業の、跳び箱もとべなかった。
いちばんひく〜い三段すら、どっこらしょ、とお尻乗せるのが関の山。


オール3だった体育の通信簿には、2がついた。


あんな溝、跳べばとべたんだろう。
でもその手前で立ち止まり、かろやかに走り去る子どもらを尻目に、ゆっくりと引き返す。


おウチに帰ろう。


親戚のおじさんがいっぱいくれた、不要になった病院カルテ紙の裏白に、ラクガキしよう。


その小さな世界でわたしは自由。空も飛べるし、お姫さまにもなれる。


いまだにあんときの少女のまんま。
KOKUYOのコピー用紙にラクガキしてる。
フリーランスイラストレーターとして、ほそぼそ地味に生活してる。
低空飛行であっちふらふら、こっちに不時着しながら。あと数年で還暦。アラカン
なんとかここまでやってきた。


軽々と溝を越え、どんどん走ってくタイプの年子の妹は、いまは地球の裏側メキシコで暮らす。
陽気なコンポーザー(作曲家)と、それぞれ再婚同士で暮らしてる。


ずいぶん遠くへ行ったもんだなあ。
あちら側は、たのしそうだなあ。


わたしは島国で、金沢と東京行ったり来たり、親と暮らし、娘と暮らす。


臆病は治らない。
一病息災。これはわたしの一部。
いや、中心部。リーダー的存在かもしれん。
臆病部隊のリーダーが、導いてきたこの半生。
妄想を白い紙に繰り広げる、ミニマルな世界。
臆病ならではの「妄想世界の遊び方」を身につけたのかもしれないな。


なかなか味わい深くもあり。
あちら側がうらやましくもある。


部隊が奏でる楽隊の音。
ガチャガチャ不協和音に混じる、センチメンタルな歌声を、味わって行こう。
小さな溝に落ちぬよう、いくども立ち止まり迂回しながら。