小学校2年生のときの日記

marik02009-12-10

小学生のときに、毎日かかされていた日記。
当時はいやいや書いていて、
いやいやかいてるんだな〜〜ってことがよくわかる。
字は汚いし、なげやりだし、ときどき「詩」みたいな書き方をして
行数をかせごうとしているし……


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小学2年生、1月14日土曜日の日記。天気は「ゆき」


うちのピアノは
18万4千円だ。
カラーテレビより
ねだんがやすい。
カラーテレビは
19万7千円くらいだ。
一万3千円ぐらい多い。


ふしぎなことが一つある。
それは、
カラーテレビはピアノよりもちっちゃい。
でも1まん3ぜん円もたかい。
それが ふしぎだ。
先生。
わけをかいて。


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なんじゃこりゃ……
先生のコメントもありました。
小さくてたかいダイヤモンドもあるし、大きくても机は安い、大きさで値段はきまらないよ、
とかなんとか……お疲れさまです先生……



この日記がおもしろいのは
当時のピアノとテレビの値段がわかることでしょ〜か。


ピアノは河合楽器のアップライト。
テレビは、たしか東芝のカラーテレビで、
金杯」とかゆうものがおまけについていたような(あやしい記憶)


ついでにもうひとつ。
クラシックのコンサートへ行ったときの日記があった。
7さいのときの記録……

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10月12日(水)雨
オーケストラ   


きょうパパとママとわたしとかんこうかいかんへオーケストラをききにいきました。
タクシーにのっていきました。
6時20分につきました。そしたらたくさんの人がききにきていたのでびっくりしました。
ぶたいには、いすがいっぱいおいてありました。
まもなくはじまるベルがなりました。
さいしょはフィンガルのどうくつです。音が小さくなったり大きくなったりたいこをたたいたりよこぶえをふいたりバイオリンをひいたりしました。ほんとにどうくつの中にいるみたいでした。
20分で音がくがおわりました。はくしゅはいつまでもやみませんでした。


まもなくフィンランディアがはじまりました。ながい音がくでラッパが大きな音をだしました。
つぎはピアノきょうそうきょくです。女の人がひかるピンクいろのふくをきてひきました。
たいことバイオリンといっしょにひきました。べつべつにするところもありました。
つぎのきょくはとてもながくて8じすぎたのであくびばっかりしました。
30かいもしました。


いちばんさいごにピチカットポルカをしました。こころがはずむような音がくでした。
おわったあとそつぎょうせいがじどうしゃにのせてってくれました。
へいわまちまでのせてってくれました。
すしやですしをたべてかえりました。


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あくびの数を数えてますね〜♪
子どもの頃は、8時には寝かされていたので、眠かったのでしょうね。


「パパ」とか「ママ」とか書いてますが、
ウチは父が英語の先生だったこともあり、
親をパパママと呼んでました。
昭和40年代というのに……



コンサートでは、フィンガルとフィンランディアを演奏したんですね。
いったいどこのオケだったのでしょうか。
ピアノコンチェルトは、何だったんでしょうね。
ピアニストはいったいだれ? ひかるぴんくのどれす??
ラストの長い曲って、ナンだ?


小学生当時、すしやで食べるすしネタは
わたしは「さわら」がすきでよくたべてた。
すしネタで、さわら? と
おもわれるかもしれないが、
金沢では「カジキマグロ」のことを「さわら」といってよく食べます。
その事実を知ったのは、数年前のことでしたが……


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ところどころに、ピアノのおけいこのこともかいてある。
当時ならってたのは
ブルグミュラー25の練習曲集、ツェルニー100番、ハノン、だったようだ。
ブルグミュラーの、3番、4番、9番、18番とかかいてある。
ツェルニーは、29番とかいてあった。
毎週通っていたっけな。
あまり練習してなかったような気がする。
「先生に「もっとれんしゅうしてきなさい。」といわれました」、
って何度も書いてあるし……