あかるい日差しがくっきり滲む

お昼までにひと仕事。
外はあかるくて、ひかりがくっきり。
輪郭がすこしにじむ。
せつなさ中毒にすっかりおかされているみたい。


午後ひさびさ萩尾望都の「訪問者」を読んだ。

訪問者 (小学館文庫)

訪問者 (小学館文庫)

もう何度も読み返してるから、物語の展開はわかってるのに
泣けて泣けてしょうがなかった。
泣いたあとは頭がぼうっとしてここちいい。
目がなんだか腫れぼったくて、今度はしきりに笑いたくなってくる。

そんなふうにきょうはたくさん泣きたかったのかもしれない。


若い頃は、主人公の少年「オスカー」にばかり感情移入してたけど
今読むと、グスタフさんの苦しみがリアルに痛い。
そして、オスカーの「願い」が、痛い。


どんなにがんばってもねがっても
苦しみがやってきて消えない
深い深い哀しみ。
それがあってこそ、うつくしいものがたりになっていて、すごい作品だとおもう。
あらためておもう。


あんなにおたがいおもいあっていたのに愛し合っていたはずなのに
うらぎることができるヒトのかなしさ。
うらぎることでしか、離れることができないのかもしれない。
ヒトとヒトとは、ほんとうにはわかりあえない。
何を考えてるのか、わかりっこない。
わかってるつもりになってるだけ、なんだろう。
それでもまた、なんどもなんども
わかりあおうともがいたりもする。
一瞬の奇跡のような共感を、何度も体験したりもする。
傷つけたり傷つけられたりを繰り返していくうちに
わかりあえないことを前提として
居心地がよくなるよう、お互い距離をたもっていられるようになるのかな。


ぼうっとした頭できょうは髪を切りにいった。
ちょっと軽くなった。


きょうはあかるいひかりと遠くから吹いてくる風が心地いい一日だった。
ごろりとベッドによこになって、風を感じながらウトウトしてたら
ドアがばたん、と大きな音をたてて閉じた。
夢と現実との境界線が曖昧になってくる。
いつか、ほんとうに目が覚めて、ほんとうのことに気がつくときがくるのだろうか?


ひかりがあかるいと、かなしみのかげも深くなるのかな。