雨雨低気圧ぐるぐる

いろがつけられる?


おお、文字に色がつけられるみたい。
えっとじゃあ見づらい色をちょっと……
おやおや?



などとちょっと遊んでしまいました。
昨日はずっと雨。咳ごほごほ、だったので咳止め飲んでアタマぽわん。



きょうは午前中にひとつ絵を送り、
午後は読書。
本の紹介を書くお仕事もたまにしていて、
そのためにじっくりと読む。

途方に暮れて、人生論

途方に暮れて、人生論

なんだかいまのわたしにしっくりと
じんわりしみいるコトバたちがたくさん。
心地いい。
ずっとプロセス、人生途中。
うろうろおろおろと迷うことばかり。
っていうか、迷うほうがまっとうなんだろうな。


今朝、BS1のドキュメンタリーをたまたまつけたら
戦争で人を撃ち殺したもと兵士のコトバに
いいえ、コトバだけじゃなくて
その人の存在そのもの、コトバを発するまでの表情に
ひきつけられた。
「はじめて人を撃ち殺した時のこと……? 話したくないな…」
と、吹き替えのコトバ。
しばらく彼は沈黙する。手でアタマを抱える。そして淡々と話し出す。
聴いてるわたしは、何もできない。ただ聴いて、ただ、泣くだけ。


訓練は、バーチャル。
命令を出す上司にとっても、戦闘、殺し合いはバーチャル。
現実は、残酷すぎて、想像をはるかにこえて、コトバを失う。



チャンネルを変えてしまえば、
朝のテレビは、
ワイドショーや、子ども番組、大リーグやらクラシックコンサートをみせてくれる。


世界をいちどきに把握するなんてできないし、できるともおもわない。


永平寺のお坊さんたちの食べてる朝かゆが、おいしそうだった。
これもまた、テレビの情報。
バーチャル情報ばかり。
禅寺で食事をつくるための教訓「典座教訓」の3つの基本。
えっと、うろ覚えなんだけど、へえ〜っと思った。
「生きる喜び」「寛大な心」「美しい魂」
(ちょっと自己アレンジしてます、たぶん)
ごまどうふ、おいしそうだった。
なんのために、なんでこんなこと、などと思い悩むこともないくらいに日々
修行として黙々とごまをする毎日。



たとえば、取材へ行った先で
マイナス情報を見たり感じたりしても
それを描くことは、しない。
それは、どこへいっても存在するだろうけど、
切り捨てる。
それを描く力量が、ない。
取材される側も、その面はみせようとはしない。
もし、もっとつっこんだものを取材して描くのなら
1日やそこらの取材では、足らない。
媒体も、違うものになるだろう。


楽しそうに、面白そうに、プラス面だけを抽出して描く。
「いいひと」ばかりが登場する。
「いいはなし」ばかりが存在する。
わたしの描く人々はいつもにこにこ笑ってる。


でもときおり、なんだかそんな自分の描き方が
つまらなくなってしまう。
表面も裏面も、きっちりと描ければいいんだけど。


そこからは、ずっと逃げてるようなきがする。