小春日和だったらしい

またまた「らしい」天気です。
きょうもずっとおウチにいました。
おしごと、いきぬき、おしごと、たらたら、おしごと、ぴあの、たらたら。
といったカンジでのんびりと。
音楽中毒症になってます。
きょうはとってもひさしぶりに、かつて焼いてもらったCDから
モーツァルトのピアノコンチェルト18と20番、
セル指揮、クリーブランドオケ、カサドシュさんのピアノの演奏を聴いた。
カサドシュさん、きけばきくほど、どんどんスキになる演奏。
深々と、やさしくて、噛めば噛むほど味がでる。
ああ、音楽中毒……デス。
ピアノを弾いていると、ヘタクソなのに止まらなくなってしいまいます。
モーツァルトイ短調ソナタ、バッハイギリス組曲2番プレリュード、ゴルドベルグ変奏曲、スクリャービンエチュードショパンノクターン55−2……なんてすごい曲ばかりだろう。
さらさらっと弾けたらキモチいいだろうな。
ほふう……。


どうやら、性格的にはまりやすいみたい。
ゲームにはまっていたときもあった。
FF,ドラクエ幻想水滸伝、ムーン、などなどのロールプレイ、もの。
マリオカートにはまってたこともあったっけ。
恋愛してるときは、恋愛最優先だった。
けっこうあれこれなんだかんだ楽しんで
遊んで、生きてきたんだな。
全く子どもみたいだ。
たのしいことを優先していると、くるしいこともしっかり副産物みたいについてくる。
それらをひっくるめて、後悔はしていませんけど。
後悔しない、ってカクゴはしているつもりなのだけど。
子どもらがここに「いる」ってことも、
そういったながれで「いる」。
「愛」とかなんとかキレイごとはこっぱずかしくて言えない。
美学? じゃないけど、ヘンなこだわりがあるみたい。
偽善も偽悪もきらい。
右も左も属したくない。
組織もきらい。
ニュートラルでいたい。
中途半端でもいい。
曖昧模糊模糊でもいい。
そんなかんじでここまできました。
いまを生きないで、いつ生きるんだろう?
そうやってきたら、いまがある。


夕方もえが買ってきたお惣菜つまみつつ
ビールがきれてたので赤ワインの小瓶をちょっっと飲んだ。
飲むと指がすべるな……。
ことばがつらつらるるるるっと、すべって出ていく。
これも、また、快感なんだろう。
やれやれ、っと。